ザ・クラウン 5 #3 モーモーと呼ばれた男(相関図)

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1つの映画でも作れそうなほどとても興味深いエピソードでした。

#3 モーモーと呼ばれた男 Mou Mou あらすじ

1946年エジプト。モハメド・アルファイドは路上物売りで生計を立てていた。ある日、退位したウィンザー公爵を見たモハメドは、大きな野望を抱く。それから33年後の1979年、モハメドはパリの老舗リッツホテルの買収に乗り出す。

相関図

まとめ

モハメド・アルファイド 

1946年 エジプト、アレクサンドリア

モハメド・アルファイドは、エジプト、アレクサンドリアで路上物売り(コーラー)をして生計を立てている。
そんなある日、王位を捨てた元イギリス国王エドワード8世と妻ウォリスがエジプトへやって来た。
エジプト人たちはエドワード8世(ウィンザー公爵)を歓迎するが、モハメドの父は、「1882年にイギリスは我が国を占領し尊厳と自由を踏みにじった。イギリス人は卑劣だがそれよりも悪いのは彼らを世界の王と見なすエジプト人だ」と批判するが、モハメドは、「イギリス人を悪く言うが、逆立ちしても対抗できない。オレはイギリス人のような力を持ちたい」と熱い思いを持っていた。
それから数年後、事業を成功させたモハメドは一目惚れした上流階級の女性と結婚、息子が生まれる。
モハメドは生まれたばかりの息子に、「世界一の父親になると誓う。二人で世界を征服しよう」と語りかけ、”エマド・エルディン・モハメド・アブデル・メナエム・ファイド”、通称”ドディ”と名付けた。

この赤ん坊ドディがその後ダイアナ妃の恋人として名前を知られ、1997年8月31日、パリでの自動車事故で共に亡くなった人物
夢を実現する力

1979年(33年後)、モハメドはパリの老舗リッツ・パリの買収に乗り出す。サポートするのは息子ドディ。
モハメドはどの競合相手よりはるかに高額の買収額1860万ドルを提示するが、ホテル側はアルファイドにホテル経営の経験がないこと、ロンドン、スイスの銀行に融資を無心したことをあげつらい売却を渋る。
するとモハメドはエジプト語で話し始める。ドディはすかさず通訳、「返事に落胆している。公平な取引を期待していた。私はリッツを世界一のホテルを蘇らせたかったが、返ってきたのは侮辱的で差別的な扱いだった」と言うと交渉を打ち切り席を立つが、結局リッツ・パリは売却を決断、モハメドはリッツ・パリを手に入れた。
モハメドはホテルの再スタートを祝うパーティーを開催するが、その席で、「あの男をつまみ出せ。リッツには不要だ」とドディに命じる。

だがモハメドが排除した黒人男性こそ、ウィンザー公爵の執事、従者として30年に渡り従事したシドニー・ジョンソンだった。

【リッツ・パリ】
1898年、スイスのホテル経営者セザール・リッツが創業したフランス老舗高級ホテル。
ベルエポック調の豪華な内装、洗練されたサービス、著名人に愛されたホテルであり、ミシュラン星付きレストラン、ココ・シャネルが長期滞在したスイートルームなどで有名。

イギリスで成功するために

シドニー・ジョンソンとの出会い

シドニー・ジョンソンが元国王エドワード8世に30年も仕えた人物と知り、すぐさまシドニーを呼んだモハメドは不躾に、「キミのような生まれの者が元英国国王の生活上の要求をすべて把握できたのはナゼだ?」と問うが、「公爵が忍耐と寛容な心で教えて下さった」とシドニー。するとモハメドは、「私にそれを教えて欲しい。イギリス社会は世界一洗練されている。キミの助けで私は稀有な存在、英国紳士になりたい」と執事になるようオファー、シドニーはそれを受けることに。

シドニーのレッスン

シドニーはウィンザー公から伝授されたすべてを伝えることに。
それは英国人が読むべき書籍から、アフタヌーンティーの意義、作法、服装に至るまでだった。そして、「英国社会はすべてが王室に始まり王室で終わる。王室と親交を持ち、信頼を獲得すればあらゆる場所の扉が開く」と言う。

【シドニー・ジョンソンとは】
王位を捨てイギリスから追われバハマ総督となったウィンザー公爵夫妻は従者のシドニーと出会う。ウィンザー公はシドニーの献身的な仕事ぶりを気に入り、雇用、パリへと連れて帰った(シドニー16才)。
以後シドニーはウィンザー公逝去までの30年間、執事、従者、キューレーターとしてあらゆる場面を支え続けたが、家庭事情で退職。その後リッツホテルに就職した。
接点を持つために

モハメドは王室との接点を持つべく大金を払い馬術競技の新会員になるが、席は女王から離れた場所で、エリザベスは隣席の人物とずっと会話しており取り入る隙がない。
隣席はハロッズの筆頭株主:タイニー・ローランド氏で、馬術大会のスポンサーだった。
その夜モハメドは、「ハロッズを買収する」と言い出す。
モハメドは、「世界一有名なデパートを所有すれば認められ特権、権力、尊敬を手にできる。顧客には王室メンバーがいる、これで英国社会の中枢に入り、イギリス国籍パスポート、市民権を得られる。6億ポンドで買収する」と言うが、その額に息子たちは言葉を失う。

【ハロッズとは】
1834年創業の老舗百貨店。かつては英国王室御用達の百貨店であり、王室との関係も深い。
ハロッズは、単なる百貨店という枠を超え、イギリスの歴史、文化、そして象徴として世界中の人々に認識されいる
ドディの夢の実現

ハロッズの賠償金額を聞きドディは、「ボクの夢、映画制作を叶える資産は残るのか」と言うが、「お前のカネじゃない。私のカネだ。ふざけるな」とモハメド。だがドディは、「不公平だ。アイディアがあるしボクのビジネスプランを展開させる権利がある。どうしてボクの独立を阻止するんだ」と父を説得、賛同者と共に映画制作に取り掛かる。

ドディがプロデューサーとして関わった映画「炎のランナー」は大ヒット。1982年アカデミー作品・脚本・作曲・衣装デザイン賞を受賞することに。監督のヒュー・ハドソンは授賞式で資金援助をしたモハメドとドディに感謝を述べた。

【炎のランナー、あらすじ】
ユダヤ青年エイブラハムズは、陸上競技に天性の才能を持っていた。彼の好敵手は、ラグビーでも活躍していたリデル。二人は人種の偏見を超えて、深い友情で結ばれていく。二人の青年が、オリンピックのそれぞれの競技で優勝するまでを、ヴァンゲリスの流麗なメロディに乗せて感動的に描く。アカデミー作品・脚本・作曲・衣装デザイン賞を受賞した名編。
手に入れたハロッズ

1985年、モハメドは約6億ポンドで老舗デパートハロッズを買収に成功した。

シドニーの悲しみに寄り添うモハメド

1986年、故ウィンザー公の愛する妻ウォリスが89才の生涯を閉じた。
夫人の死を悲しみ、「美しく愛に溢れた邸宅が朽ち果てしまった」と肩を落とすシドニーを連れ、モハメドはパリ、ブローニュの森の邸宅を訪ねる。

ウィンザー公爵夫人ウォリスの葬儀はイギリスで王族として執り行われ、遺体はウィンザー城近郊の王立墓地に葬られた。

邸宅はすっかり老朽化、天井からは雨漏りがし、壁はすすだらけ、貴重な家具もボロボロ状態。邸宅内の公爵夫妻の所有物(宝石、洋服、日記など)にはすべて番号が割り振られ、オークションにかけられると言う。
モハメドは、「王室に返されるべきだろう」と言うが、家屋を含めここにあるものすべてはフランス当局に委ねられていると言う。

モハメドは邸宅購入を決断、シドニーは笑顔を見せる。
すぐさま改修工事がはじまった。モハメドはインタビューで、「邸宅の参状を見てカネは惜しまないと決めた。修復できることは光栄であり喜び。元国王の邸宅には歴史的価値がある。かかった費用は私から英国王室に捧げる贈り物だ」と答えた。

イギリス王室の対応

莫大な費用と3年の月日が費やされ、ヴィラ・ウィンザーの修復が終わった。
モハメドはエリザベス女王をヴィラ・ウィンザーへ招待、その日を心待ちにするがやって来たのは主任秘書ロバート・フェローズだった。ロバートはモハメドに、「陛下を喜ばせたいとお考えなら王室コレクションを返還ください」と言い、そのすべてを持ち帰る。

ヴィラ・ウィンザーには貴重な王室コレクション(ウェールズ公の宝冠、ガーターバナー、絵画、国王ボックス、ウィンザー公の書き物机とその中身の書簡)があり王室はそれらの返還を受けるべきと考えた末、主任秘書を送ったのだ。

王室の態度にシドニーは、「あなたが抱いておられる気持ちは公爵がご存命中、王室に抱いていたのと同じでしょう」と王室を批判するが、「イギリス女王を喜ばせられたんだ」とモハメド。

ヴィラ・ウィンザーは息子ドディと元イギリス王太子妃ダイアナが事故死した後の1998年に売りに出され、売り上げは慈善団体に寄付された。
シドニーの最期

シドニーは1990年に逝去した。
モハメドは最期までシドニーに寄り添い、看病し、埋葬した。
墓石には、”シドニー・ジョンソン 国王の執事”と刻んだ。

アルファイドとダイアナ

馬術大会が開催された。
エリザベスの隣席に座っているのはモハメド・アルファイド。

エリザベスは秘書ロバートから、「ハロッズのオーナーであり、ヴィラ・ウィンザーの所有者。そして馬術大会のスポンサーのモハメド・アルファイド氏」と聞き、そのあとをロバートに託すと言う。

ほどなくしてエリザベスの席に現れたのはダイアナ妃。
モハメドはエリザベス女王のために用意していた品(ハロッズクッション、ハロッズグッズ)をダイアナに贈ると、「女王は私にアレルギーがあるらしい」と言う。ダイアナはチャーミングな笑顔で、「私と一緒ですね。女王は私を見もしないから」と握手を求める。モハメドは、「モーモーと呼んでください」と笑顔を見せると、息子ドディを紹介するのだった。

感想

興味深いエピソードでした。
エジプト人の成り上がりストーリーではあるけれど、モハメド・アルファイド氏の持つ魅力も理解できました。最初はイヤなヤツでしたけど、頭が良い人なんだなと思いますね、ちゃんと適応してる。
反面感じるのはイギリス人の特権意識。イヤなところだと思います。特に黒人やアラブ系をバカにしすぎだし、それを女王自らすることが悲しいなぁ

亡きエドワード8世のちのウィンザー公爵が仕事ぶりに惚れ込んでパリへと連れ帰ったシドニー・ジョンソンは実在の人物だそうです。

 

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