ジョン・F・ケネディのエピソードです。
#8 親愛なるケネディ夫人 Dear Mrs.Kennwdy あらすじ
ケネディ大統領夫妻がイギリスを訪問、晩餐会で初顔合わせをしたエリザベスはジャクリーンに好意を持つが、思わぬ事実を聞き、ジャクリーンに触発されることに。
相関図
まとめ
ガーナ、首都アクラ
ガーナ初代大統領クワメ・エンクルマはアフリカ諸国の代表会議で、「私たちはアフリカ人だ。西側諸国に冷遇されるのはもう十分。今こそ新たな同盟を築き、我々を同等に扱わせるのだ。従属国としてではなく、奴隷としてではなく、自らが運命を選ぶ。社会主義のアフリカをアフリカ人のために」と演説、アフリカ諸国の賛同を得ると、英連邦を離脱、新たにソ連と密接な関係を築こうとする。
ケネディ大統領夫妻
テレビでは第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディと妻ジャクリーンの外遊を報道、その可憐で若く美しいジャクリーンは話題の的だった。
その上ケネディと不仲だったフランス大統領ド・ゴールとの関係も、ジャクリーンの魅力と流暢なフランス語のおかげで解消されたと言う。
エリザベスもバッキンガム宮殿で晩餐会を主催するが、宮殿職員だけじゃなく、出席者の王族や貴族たちもジャクリーンの訪英に興奮状態、それは夫フィリップも同じだった。(隣の席が良いと言うほどに)
しかし王室と無縁のケネディ夫妻はお辞儀をしない、エリザベスを閣下と呼ぶ(本来は女王陛下)、フィリップを公爵閣下と呼ぶ(本当は殿下)など礼節を欠いた態度だった。
フィリップは終始ジャクリーンと楽しげに会話し、「彼女は魅力的で賢い」と絶賛する。
エリザベスはジャクリーンにバッキンガム宮殿を案内することに。
最初はジャクリーヌとは気が合わないと思っていたエリザベスだったが、実はジャクリーンが内気だと吐露したり、自然と動物が好きだと聞き、「本当は妹の方がファーストレディ向きだ」と言うその家庭環境にも共感、ジャクリーヌに惹かれる。
悪い噂
「思ってたよりジャッキーは素敵な女性だった」と言うエリザベスにマーガレットは、「パトリックがディナーの席でジャクリーヌの本音を聞いたそうよ。カレに直接聞くといい」と言い出す。
エリザベスはパトリックをバッキンガムに呼ぶと、単刀直入にディナーの席で何を聞いたか知りたいと言う。パトリックは躊躇しながらも、「バッキンガム宮殿は安っぽくて荒廃している田舎のホテルのようだった。王室は現代にそぐわない。古臭い制度。エリザベスは中年女性でとても無気力だった。知力に欠け何の特徴もない。イギリスが落ちぶれたのも当然」と語っていたと言う。その言葉に衝撃を受けるエリザベス
エリザベスの決断
「エンクルマの西側への敵対心が高まっており、英連邦を離脱する気らしい。ボルタダム建設からアメリカが手を引いた」と言う。
このままではガーナが英連邦から離脱してしまうと考えたエリザベスは、「私がガーナへ行く。ガーナをソ連から遠ざけ、英連邦に留めておくにはそれしか方法がない」と言うが、「訪問は危険だ。その上女王陛下は政治交渉には関われない。とてつもない判断ミスだ」とマクミラン。
1961年11月、ガーナ訪問
だがエリザベスはマクミラン首相の反対を押し切り、ガーナを訪問する。
ガーナ国民とエンクルマ大統領はエリザベスを歓迎するが、エンクルマはエリザベスを利用したのだった。
イギリスマクミランから電話で、「ダム計画に着手するためソ連の技術者がガーナに入った。陛下は利用された。懸念したとおりになった」と報告を受けたエリザベス。
その夜、エンクルマ主催のダンスパーティーでエリザベスは大きな決断を下す。それはエンクルマ大統領と共にダンスすることだった。マイケル秘書からエリザベスからのメッセージを聞いたエンクルマは、エリザベスに近づくと、「これは両国にとって歴史的な瞬間です」と言うが、「えぇ。でも条件はわかっているわよね」とエリザベス。「女王陛下」とエンクルマが差し出す手を取るエリザベス。出席者からは拍手が起こる。
世界の評価
エリザベスのガーナ訪問によりエンクルマは英連邦に留まることを決めた。世界各国の新聞はエリザベスの外交力を賞賛した。
ジョン・F・ケネディとジャクリーン
ジョンは、「今、国は分裂している。建国の意味を忘れている。今こそ国を立て直す時。皆さんひとりひとりがアメリカ再建を担って欲しい。「自由、寛容、機会の均等」と言うアメリカ本来の偉大なる価値観を取り戻しましょう。そうすれば我々は真の自由世界のリーダーとして再び君臨できる」とスピーチ。喝采を浴びる。
夫ジョンの態度に不満が溜まっているジャクリーンに、「キミには感謝してるよ、重大な外交問題に役立ち、共産主義者になりかけていたアフリカの国が西側に留まった」とジョン。意味がわからず、自分とどう関係があるのかと聞くジャクリーンにジョンは、「どうやらキミのディナーでの発言が女王の耳に入り、刺激されたらしい。だからこそ女王は内閣の反対を押し切り自らの評判を危険に晒してでもガーナへ行き、エンクルマ大統領を何とか繋ぎ止めようとした。自らダンスまでしてね」と。
ジャクリーンの謝罪
公式昼食会に先立ちエリザベスとの謁見を希望したジャクリーンをウィンザー城で迎えるエリザベス。
「謝罪のために来ました。社交の場で愚かな発言をしました」と言うジャクリーンにエリザベスは、「話は耳に届いたけれど謝罪の必要などない。ただ私が思ったのは、あの時私が感じた印象とまったく違ったと言うこと。でもあなたに悪意はないはず。だってほぼ他人だから」と言うが、「聞いていただけるなら弁解を聞いて欲しい。私たち夫婦は幸せに見えたかも知れないけれど、私は産後ウツに苦しみ、夫も健康問題を抱えていた」と話し始める。
「あのディナーの夜も注射をした。そのせいで口が滑ってしまいました。酷い言葉が陛下のお耳に入ったと聞き、口では言い表せないほど苦しみました。私が心から尊敬する人を怒らせてしまった。仕事への取り組み方、重圧との付き合い方、自己犠牲の精神、落ち着きと威厳、女性として励まされる。ガーナの行動は本当に素晴らしかった」と気持ちを伝えた。
その夜エリザベスは、「怒るどころか感謝していると言わなかった。ただ彼女の言葉を聞いてた。彼女は傷ついていた」と言うが、「全員が侮辱されたんだ。必要な時には冷血になれる。それで良かったんだ」とフィリップ。
ケネディ大統領暗殺のニュース
ケネディ大統領がダラスで暗殺された。
報道を見続けていたエリザベスはジャクリーンが銃撃された時の服装(ピンクのスーツ)のままで葬儀に参列しているのを見て、ジャクリーンの意図に気づく。
エリザベスは秘書マイケルに、王室の関係者全員に1週間喪に服すよう命じると、ウェストミンスター寺院の鐘を鳴らすことに。そして迷った末ケネディ夫人宛の手紙を書くのだった。
またウェストミンスター寺院の鐘は本来王族が亡くなった時のみ鳴らされる鐘だが、エリザベスはケネディ大統領のためにそれを指示したのは異例だった。
感想
ケネディ大統領暗殺は、1961年11月22日のことですね。
ケネディ暗殺のこと、ジャッキーが人気だったことは知っていますが、エリザベスとこのような関係にあったんですね。
エリザベスは内気だし、人前に出ることを好む女性ではありませんが、だからこそイギリス女王なのかなと思うこの頃です。
激動の1900年代~2000年を生き抜いた素晴らしい女王だったと思います。
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