待望の後継者アレクセイとその秘密。そして日露戦争の話し。
#2 待望の男子 The Boy あらすじ
5人目でようやく待望の男の子、後継者アレクセイが生まれたロマノフ家。よろこびもつかの間アレクセイが血友病だとわかる。その頃ニコライは叔父セルゲイの助言で日露戦争をはじめてしまうが戦況は悪化の一途。ロシアは専制政治を見限った民衆がドゥーマ(選挙制の議会)を求める混乱期へと突入する。
相関図
まとめ
1925年ベルリン:アナスタシアと名乗る少女
ピエールは少女に姉弟の写真を見せ、「覚えているか?どうやって逃げたんだ?」と問いかけるが、無表情のまま何も反応しない少女。

ピエールは、「負傷してあの地下室から逃げられたとは思えない」と言うが、医師は、「狙いは皇帝と皇太子、死んだと思われたのかも。だが保護された時、彼女が持っていたのはこれだけ」と新聞記事の切り抜きや写真を見せると、「アナスタシアになりすますために情報を集めていた可能性もある」と言う。
王朝存続と帝国拡大の重圧
日露戦争勃発(1905年2月~)
優れたロシア皇帝の条件は領土を拡大すること。
ニコライ2世は極東を狙い日本との関係を悪化させてしまう。カレの予想では戦闘は楽勝、日本がロシアに戦争を挑むはずがないと考えていたが、それは見事な誤算だった。
3隻の軍艦を沈没させられた現状に戦争回避を進言する参謀。だが叔父セルゲイから、「父君ならやる」と煽られたニコライは日本に宣戦布告、日露戦争をはじめてしまう。

男児誕生と悲劇
4人出産しても男子が授からず、追い込まれたアレクサンドラは神に傾倒。様々な方法を試し、無事男児を出産、ニコライ2世夫妻はよろこび、安堵、アレクセイと名付ける。(1904年7月30日)

これでロマノフ家は安泰と思われたのもつかの間、アレクセイが血友病だとわかる。
血友病はヨーロッパ王族に多い疾患で叔父と弟を血友病で亡くしていたアレクサンドラは血友病の恐ろしさを知っていたが、(当時)治療法がなく神に頼るしか他なかった。
「息子が病弱だと世間に知れたらこの子を認めず、私たちを責める」と言うアレクサンドラの言葉でニコライ2世は、事実を隠し、信頼できるごく少数のものにだけ話し、最高の医師と護衛をつけることに。
日露戦争の激化と国内情勢
苦境の戦争
旅順口区(りょじゅんこうく)での2週間に渡る日本の攻撃で太平洋艦隊を粉砕され、シベリア軍団は撤退。この戦況に参謀は、「人民は生活改善に必死で戦争を望んでいない」と進言するが、セルゲイから、「戦争こそ必要だ。軽く扱われるな」と言われたニコライは、バルチック艦隊42隻と12000の水兵を送り込むよう命じてしまう。サンドロはたまらず、「狂気だ。苦境になっても泣きつくな」と言い捨てるが、ニコライが命令を変えることはなかった。

バルチック艦隊はロシアの頼みの綱。これを失えば世界列強の地位を失いかねず、敗戦は王朝の破滅に繋がる問題だったがニコライは叔父の言葉で簡単に送り込むことを決定。
不安定な国内情勢
戦況は増々悪化、国内の工場は軒並みストライキを敢行、テロも横行し、国民に不満が広がる。
1905年1月、労働条件の改善を求めて大群衆がサンクトペテルブルクに集まる。だがそれは、”父なる皇帝が助けてくれる”と言う平和的な抗議だったが、政情を理解していないニコライはサンクトペテルブルクを出ると言い出す。当然母親は、「皇帝は民衆の上訴を受けるのが義務」と諭すが、妻アレクサンドラから、「あなたの一番の義務は家族と後継者(アレクセイ)の安全を考えること」と反論され、妻を優先、サンクトペテルブルクを出てしまう。

血の日曜日
サンクトペテルブルクを離れたニコライ2世は民の訴えに耳を傾ける神に選ばれし皇帝であることを示すチャンスを失っただけでなく、冬宮殿(ロシア帝国の宮殿の1つ)に近づく抗議者は撃てと軍守備隊に指示。それにより労働者、農民による皇宮への平和的な請願行進が、死者千人、負傷者2千人にも及ぶ殺戮の場となってしまった。(1905年1月9日)
この惨劇にニコライは、「人民は私を許さないだろう」と苦しむが、アレクサンドラは、「何も悪いことはしていない。千人が抗議するなら1万人があなたの導きを請う。今こそ人民にあなたの真の強さを見せるとき」と励ます。

ロシア革命へ
血の日曜日事件により民衆は専制政治ではなく、選挙による代議政治の必要を叫びはじめる【ドゥーマ】
学歴のある君主制打倒、ロシア変革に情熱をかけるものたちが立ち上がった。
その中にはエス=エルの革命運動家、詩人のイヴァン・カリャーエフもいた。
セルゲイ大公のテロ死
モスクワ総督だったセルゲイ大公は乗っている馬車に爆弾を投げ込まれ、爆死。実行犯のカリャーエフは、両手を挙げ降参のポーズを取ると、「義務を果たした」と叫び、逮捕された。(1905年2月4日)

叔父セルゲイ大公が殺害され、小心者のニコライは恐怖に苛まれ葬儀参列もしなかった。
実際、セルゲイ大公のテロ死をきっかけにロシア帝国全体に無差別な暴力と革命が起こり、広範囲が皇帝統制不可能となった。革命のはじまりだったー
それはセルゲイ大公の妻エリザヴェータも同じで、「なぜ夫を殺害したのか理由は知りたい」と刑務所でカリャーエフに面会したと言う。
セルゲイ大公の妻エリザヴェータ(アレクサンドラの姉)
ニコライ2世の決断
敗戦
ロシアは地上戦で負け、バルチック艦隊もわずか40分で粉砕され負けた。
ドゥーマ(選挙制議会)
この状況になっても、「軍事独裁が必要だ」とズレた発言を続けるニコライに大臣は、「人民が望む政府を作るべき。大公の次に狙われるのは陛下。英国も君主制だが議会がある。選挙制議会(ドゥーマ)がいる。それが唯一の道」と説得、ニコライは終に折れ、選挙制議会政府を約束する。

だがこの決定にアレクサンドラは、「あなたが皇帝、神の統治を任された。1つ与えれば終わりはない。もっと求められる」と立腹するが、実際皇帝は君主のまま。多数の有権者に選ばれたドゥーマは弱く、皇帝はいつでも議会の決定を無視、否認できた。
そんな中、徐々に革命派を弾圧しはじめるニコライ。何千人もの革命家がロシア帝国中で殺された。その中にはカリャーエフもいたが、カリャーエフは、「大義のための死だ。喜んで処刑される。皇帝死ね!」叫び銃殺された。

ロマノフ家の家庭教師
1905年9月。ロマノフ家の家庭教師としてフランス人のピエール・ギラードがやって来た。
ピエール・ギラードは4人の娘(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とアレクセイを指導することに。

ラスプーチン
その頃、ラスプーチンはサンクトペテルブルクへとやって来ていた。
権力と富を嗅ぎ分けるセンスに長けていたラスプーチンは”黒姫達(上流階級に精通した神秘主義に惹かれる女性たち)”と知り合うが、彼女たちの間でラスプーチンは、「本物の奇跡を行う力がある」とのウワサされていた。そんな中、友人から離れて座る淋しそうな女性に近づくと、女性が娘を亡くしたことを言い当て、「あなたのせいではない」と抱きしめ癒やしたラスプーチン。このことでラスプーチンのウワサはより一層の拍車がかかる。

ケガをした皇太子
その年の暮、アレクセイが転けて脚を負傷してしまう。ひどく腫れ、痛みで泣く息子が心配でならないアレクサンドリアは、半狂乱で神に祈り続ける。
ニコライは奇跡を起こせる僧侶がいると聞き宮殿にラスプーチンを呼ぶ。

感想
このドラマ面白い![]()
政情や統治を学ぼうとせず、状況把握ができず、信念を持たない優柔不断な人物が絶対的な権力を持つことは本当に悲劇。そう言う人物がアドバイザーであることも。
そして日本って強かったんですね。
第二次世界大戦で敗戦。それ以外、日清戦争、日露戦争はテストに出る項目を覚えるだけの勉強しかしてこなかったので、非常に興味深かったです。
東條英機率いる日本軍はたったの30分でバルチック艦隊を粉砕したとか。もちろんいろんな事情が重なった結果の勝利だったのでしょうが。
いよいよラスプーチンがロマノフ家と接触しました。どんなのか興味あります。




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