最終話です。
史実ドラマなのでとっつきにくいとは思いますが、興味のある方、「ザ・クラウン」を見られた方には、見て欲しいドラマです。
#6 特別目的館 The House of Special Purpose あらすじ(最終話)
ニコライ2世退位後も政治不安は続き、内戦が勃発。監視の目にさらされながら皇帝救出を目指す白軍の到着を待ち続ける皇帝一家に運命の時が訪れる。
相関図
まとめ
このエピソードの続き
ロシアの政治派閥のこと。ウラジミール・レーニン率いる急進的左派の一派
【ヤコフ・ユロフスキーとは】
東部前線で衛生兵として任務。信条に基づき共産党員となり”チェーカー(秘密警察)”に。その忠実な仕事ぶりを買われ、ボルシェビキ処刑隊のリーダーに抜擢
イパチェフ館=特別目的館
家族の再会と幽閉生活
1918年5月(革命から1年後)。
エカテリンブルクにあるイパチョフ館に幽閉されていたニコライ2世、妻アレクサンドラ、娘マリアの元へ、ヤコフ・ユロフスキーの部下が子どもたち(オリガ、タチアナ、アナスタスア、アレクセイ)を連れて来る。一家は再会をよろこぶが、「ここはホテルじゃない。刑務所だ」とボルシェビキ。
実際、彼らは常に監視され、ルールに沿っての暮らしを強いいられていたが、ニコライとアレクサンドラは、内密に亡命もしくは救助されると信じており、「これは一時的だ。どれだけ困難でも品格を保て」と子どもたち言い聞かせる。

ウラル・ソビエト共産党
皇族一家処刑にを望むもの
【皇帝一家イパチェフ館幽閉】は秘匿事項だったが、徐々に町でウワサが広がりはじめる。
ボルシェビキ処刑隊のヤコフ・ユロフスキーは、「ここはマズイ。手助けで逃亡される危険がある」と懸念するが、ウラル・ソビエト共産党軍部人民委員のフィリップ・ゴローシェキンは、「モスクワの合意なしでは何もできない。レーニンに伝えるが、監視を続けろ。警備は万全に。失敗は許されん」と命じる。

ユロフスキー、ゴローシェキン共に皇帝一家の処刑を望んでいたが、この時期レーニンは処刑はイメージと人気を落とすと考え消極的だった。
ロシア共産党(ボルシェヴィキ)の創立メンバー。ロマノフ家を犯罪者、搾取者と恨んでいる。
政情
1918年3月3日、ボリシェヴィキ政権の代表(指導者)レーニンは中央同盟国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア)とブレスト=リトフスク講和条約を締結。これによりロシアは第一次世界大戦から単独で離脱。
この条約締結によって欧州ロシア領は激減、「母国への裏切り」とレーニンの支持率が降下、革命は内戦へと変わっていくー・・・・
内戦
台頭してきたのは帝政の元将校、司令官らの白軍。彼らはボルシェビキの権力固持に対抗。更にロシアを大戦に呼び戻そうと英国と仏がロシアに大軍を送りボルシェビキに対抗しはじめた。
この状況にボルシェビキは、ロマノフ家が敵の旗印になることを恐れた。
謎めいた連絡
1918年夏頃、皇帝一家に謎めいた手紙が届くようになる。隠密に渡された手紙の差出人は、ロシア軍将校。手紙には、「合図があったらすぐ逃亡できるよう備えよ」と言うものだった。

ニコライたちはそれを信じ、アレクサンドロフスキー宮殿から持ち出した宝石を下着に縫い込むなど準備に入る。その宝石は亡命先で生き延びる手段、逃亡経費に備えて持ち出したものだった。
だがこの手紙の差出人はロシア軍将校などではなく、ウラル・ボルシェビキだった。彼らは、皇族一家を家からおびき出し逃亡させ、殺害する正当な理由を作ろうとしたのだ。
突然の査察
ロマノフ家の娘たちは10代の可愛い少女だったため、イパチェフ館警備のボルシェビキの中には、娘たちと親しくなるもの出始め、警備も規律もゆるみはじめるー・・これを憂いだヤコフ・ユロフスキーがゴローシェキンに報告。

ゴローシェキンは先鋭兵5人を連れ、「協力すればケガはない」と非情な抜き打ちの検査をはじめる。館をくまなく調べ、アンナと隠れて戯れ合っていたボルシェビキを発見、銃殺した。

迫る白軍、追い詰められるウラル・ボルシェビキ
1918年7月、イパチェフ館内の秩序は乱れる一方、内戦で赤軍が振るわず、エカテリンブルクにも白軍が迫り、皇帝一家救出が現実味を帯び始める。この状況にレーニンは、「もし白軍が近づくならウラルの同志に一家を殺す許可を与えること」と同意する。
新司令官ヤコフ・ユロフスキー
ヤコフ・ユロフスキーは甘い護衛を解雇、よりタフで皇帝に敵対心の強いものを新規採用、イパチェフ館の護衛につけると、新司令官となり指揮を執ることに。

ヤコフ・ユロフスキーは皇帝一家に、「今後規則は厳格に実施される。護衛との交際は禁止。規則を守れば安全だが逃げようとすれば厳しく罰する」と宣言する。
ニコライの苦悩とヤコフ・ユロフスキー
ニコライは神に代わる統治者の任務を全うできずこの危機を招いたことに苦しみ、病気を抱える息子アレクセイをボルシェビキから守ろうと行動を起こす。

「私たちはこれからどうなるのか。息子は病気だ。正式な医者の診察がいるし妻が神父を必要としている」と要求するが、「総局の指示待ちだ。私に決定権はないし上申もできない」とヤコフ・ユロフスキー。その冷酷な態度にニコライは、「良い皇帝になろうとした。すべて国のためにしてきた」と言うが、ヤコフ・ユロフスキーは机を叩くと、「人民のために何をした?人民こそロシアだ」と言い切る。

追い込まれるボルシェビキ
この頃ボルシェビキ政府は大苦境に立たされていた。
モスクワで大きい暴動が発生、複数の軍隊がボルシェビキの中枢に迫る中、白軍もエカテリンブルク30キロの地点まで進軍。ロマノフ家が解放される可能性が十分ある状況に。実際イパチェフ館にも前線の攻撃音が聞こえ、戦闘はすぐそこに迫っていた。
そんな中、ヤコフ・ユロフスキーは皇帝一家の願いを叶え、イパチェフ館に神父を迎えた。
ニコライは、「大きな慰めだ」とヤコフ・ユロフスキーとゴローシェキンに礼を述べるが、その時点でレーニンから皇帝一家殺害の許可が出ていた。

皇帝一家の最期
午前1時半
イパチェフ館に1台のトラックが到着する。
ヤコフ・ユロフスキーはニコライの寝室をノックすると、「町で戦闘が起こっている。安全のために移送する。すぐに身支度を」と指示。父ニコライの指示で娘たちは宝石を縫い付けた下着を身につけた。
ヤコフ・ユロフスキーは一家をイパチェフ館の地下へと移動させると、「ここでクルマを待て」と指示。ニコライは妻とアレクセイのために椅子を要求、2脚が用意された。

2時05分
地下室にやって来たヤコフ・ユロフスキーは一家の名前をフルネームで読み上げると、「ウラル・ソビエト委員会は死刑を宣告する。あなたは死刑です」とニコライに何発もの撃ち込む。

一家が悲鳴をあげる中、「やれ!」と言うヤコフ・ユロフスキーの号令で、ボルシェビキが妻アレクサンドラ、娘たち、アレクセイ銃撃。最後まで生き残ったアナスタシアを撃ったのはヤコフ・ユロフスキーだったー。

皇帝一家惨殺後
処刑された皇族、亡命した皇族
皇帝一家殺害後、ボルシェビキは監禁していた18人の皇族を処刑。アレクサンドラの姉でニコライの叔父セルゲイの妻エリザヴェータは炭鉱の立坑へ突き落とされ、手榴弾が投げ込まれたと言う・・・
その一方で亡命した皇族も多かった。皇太后、最高司令官のニコラーシャ、フェリックス・ユスポス皇子などは英国戦艦マールバラで逃亡した。
皇帝一家の遺体捜索
皇帝一家銃殺から1週間後、反ぼり軍がエカテリンブルクを占拠。皇帝一家に何があったかを調査がはじまる。そこにはピエール・ギラードの姿も。ピエールはイパチェフ館の悲惨な現場を見て、皇帝一家の遺体を捜索、コプチャキの森で遺体の一部が見つかるが、全員の死を実証する遺体は見つからなかった。
その後赤軍が内戦勝利に近づき、反ボルシェビキ軍はエカテリンブルクを脱出、遺体の捜索は打ち切られた。

発表された事実と隠されたこと
ボルシェビキはニコライ2世の処刑を発表したが、家族のことには一切触れなかった。無実の子ども5人の虐殺を批判され、評判が下がることを恐れ、わざと話の謎を深めることにしたのだ。
1925年ベルリン:アナスタシアと名乗る少女
ピエールは少女を世話していたフォン・クライスト家から数カ月前、宮殿勤務だった将校と食事をした時、少女も同席。伯母オリガが彼女を”ピクシー”と呼んでいたと聞いたこと、少女がアナスタシアのサインを練習していた証拠が見つかる。

これによる少女アンナは「なりすまし」とされたが、「それでも私の患者だ。症状が不安定だから彼女には話さない方がいい」と医師。だがアンナはこっそり話しを聞いていた。
「行っちゃうの?行かないで」と言うアンナにピエールは、「また会おう」と病院をあとにする。
”なりしましのアナスタシア”が登場したのは上記理由。子どもたちについて一切の公表がなかったため謎が深まった。
ソビエト連邦設立の頃、「大公女のひとりが逃亡した」とウワサに。「私がアナスタシアだ」と出てきたのはアンナ・アンダーソンだった。

当時はDNA鑑定などなく真偽不明だったが、アンナは何十年も、「アナスタシアだ」と主張し続けた。

1979年、2人の歴史愛好家がエカテリンブルク郊外の森で皇帝一家らしき遺体を発見、だが当時の政情・鑑定技術が確立されていなかったため調査なしで再葬。
1991年ソビエトが崩壊後、再び遺骨を掘り起こされることに。エディンバラ公や皇族の協力でDNA鑑定されロマノフ一家の遺骨と断定された。
(「ザ・クラウン」シーズン5 6話のエピソードと繋がる)
その後、改めて亡くなっていたアナスタシアを名のり続けたアンナ・アンダーソンの遺骨と照合、赤の他人と判明してしまう。彼女の本名はフランツッスカ・シャンツコフスカ。ポーランドの工場労働者で精神障害と宣告されたあと、1920年に行方不明になっていた女性だった。
ロマノフ皇帝一家の葬儀
1998年、エリツィン大統領を代表としてニコライ皇帝一家の再埋葬式がロマノフ王朝代々の墓がある首座使徒ペトル・パウエル大聖堂で行われたが、実はふたり分の遺骨が足りないままだった。
2007年、マリアとアレクセイの遺骨が発見された。ふたりは埋葬を待っているー・・・
完
感想
見応えがありました。
「ザ・クラウン」シリーズで、イギリス王室とロマノフ王朝が関係していることを知り、興味が湧いてこのドラマを見たわけですが、よくわかっていない史実を調べ直して勉強できたことも良かったですし、ドラマが脚色されているとしても、史実を知ることってやはり興味深いことだと思います。
しかも、アナスタシアなりすましはドラマのための脚色かと思いきや、ほんとうにソビエト連邦で当時話題になったニュースだったと言うのも面白かったです。
このドラマを見た方の少しでも参考になればうれしいです。




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