ラスト・ツァーリ ロマノフ家の終焉 #5 革命(相関図あり)

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海外ドラマラスト・ツァーリ ロマノフ家の終焉

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ロマノフ統治300年の歴史が終わった時のエピソード

#5 革命 Revolution あらすじ

ラスプーチン亡きあとも戦争と国内で破滅的な政策を継続し続けるニコライ2世。一方、第一次世界大戦の戦況は悪かった。戦争反対と貧困は民衆を革命へと駆り立てていくー。

相関図

まとめ

1925年ベルリン:アナスタシアと名乗る少女

ピエールはアナスタシアの伯母オリガをベルリンの病院に呼ぶ。
オリガは少女がアナスタシアかどうかは、「見ればわかる」と言い面会するが、静かに首を振るオリガ。やはり少女はアナスタシアではなかったのだ・・・と思ったとき、「伯母さま、ピクシーよ」と少女。
”ピクシー”とはオリガだけが呼んでいたアナスタシアのニックネーム。驚きを隠せないオリガ。


 

死んだラスプーチン

ラスプーチンの遺体は小ネヴァ川の氷の下で発見された。(1916年12月19日)
ラスプーチンは毒を盛られ、殴られ、頭を撃たれていた。

アレクサンドラは、「息子を救える唯一の人が死んだ」と悲嘆するが、「前に進むしかない」とニコライ。
一方、皇室一族や民衆はラスプーチンの呪縛から解かれたニコライが改革に着手するのではと期待するが、ニコライは何も変えなかった。それどころかラスプーチン暗殺がフェリックス・ユスポス皇子たち一族の犯行と知り、懲罰を受けさせるべきだと言い出す。
そんなニコライに伯母オリガは、「親族の声に耳を傾けて。あなたが国を導いて」と言い、皇太后も、「新しく組閣し人民の信頼を取り戻さねば。さもなくば無政府状態になる」と説得するが、ニコライは批判ばかりの現状にうんざりする。そんな夫に、「ラスプーチンならどんな助言をしたか考えて」とアレクサンドラ。ニコライは妻の励ましで、「今までどおりの方針で行く」と戦地へ戻り軍を指揮することに。政治はアレクサンドラが仕切ることに。

皇帝が政府を統率し国をまとめるべき時に、戦地へと戻る決断をしたニコライ。それは政府実権の放棄だった

ロシア情勢

現れた政治団体

戦況は悪かった。人民は戦争への不満が沸騰。経済危機と情勢不安を招いていく。食糧不足で飢餓が深刻化、労働者は戦争のためと悪条件で酷使され、厳冬が生活苦に追い打ちをかけ、とうとうプテロフ兵器工場がストを起こす。それにペトログラード中の労働者が参加しはじめる。労働者が運命を変えるために革命に参加しはじめたのだ。そのうちいくつもの政治団体、派閥が現れた。その中の最も過激な政党がレーニン率いるボルシェビキだった。

【ウラジーミル・レーニンの思想】
労働者階級が旧支配階級の抵抗を抑え、社会主義建設を推進するための強力な権力を持つべきとの考え。つまり皇族の絶滅は、打倒されるべき旧支配階級の最たるものであり、新たな社会主義国家の樹立のためには、彼らの影響力を完全に排除する必要があると言う考え
東部前線

ニコライが戻った東部前線は壊滅的だった。ロシア軍は全域で敗退ばかりかバラバラ状態に。
軍隊での皇帝の評判は最悪で兵卒たちの間では革命派に人気が集まっていた。
衛生兵ヤコフ・ユロフスキーは帝政政府への嫌悪から熱心なボルシェビキに。

【帝政政府とは】皇帝が統治する政治のこと

状況を把握していないロマノフ一家

1917年2月。皇帝への反感を表明したのは女性だった。首都ペトログラードに集まった何万人もの女性はパン不足に抗議。女性のパン暴動だった。そこへ工場の労働者も加わり、次々と工場がストに。それはモスクワまで広がった。

ルズスキー将軍からペトログラードの状況報告を受けたニコライは、アレクサンドラに指示を出すが、アレクサンドラはラスプーチンの墓にいた。アレクサンドラは子どもたちが母親を捜していても、大臣が緊急の報告だと面会に来ても、「カレの死を悼んでいる。明日にして」と政府を運営する立場でありながら断るありさま。

町の通りは抗議者と革命運動家で溢れ、政権転覆を叫びはじめる。その数20万人だった。
ニコライは守備隊を送り、群衆の鎮圧を命じる。

鎮圧の結果

町はカオスだった。命令に従い兵士は群衆に発砲、何百人が死亡する大惨事となってしまう。
これに怒った群衆は冬宮殿の門前で抗議、兵士の中には抗議に加わるものまで出始める。

家庭教師ピエールと子守りのシュラは、「門に抗議者が殺到してる。宮殿を離れるべき」と進言するが、「ラスプーチンは恐れず嫌うな愛せよとおっしゃった。人民はわかってくれる」とアレクサンドラ。アレクサンドラは無知で、革命は少数の暴徒のしわざで、軍隊は皇帝に忠実だと信じていたのだ

戦場

兵士の士気は下がりに下がり悲惨だった。それでも上官は、飢えと疲労で動けない兵士の胸ぐらを掴み、「立て、命令だ。反抗は罰則だ」と銃を向ける。しかし兵士は誰ひとり従わない。それどころか全兵士が上官に銃を向ける。衛生兵ヤコフ・ユロフスキーは、「時代は変わった」と言うと戦場を去る。
いくつもの戦場で兵士が任務放棄、脱走し、反乱に加わりはじめる。

追い詰められるニコライ

将軍から、「さらに数千人の兵が反乱参加のために脱走した」との報告に、ようやく家族が危険だと気づいたニコライは、精鋭部隊の兵士を宮殿の守備につけるよう指示すると戻ることに。

乗っ取られたペトログラード

冬宮殿の門前には抗議する群衆と兵士たちが大挙、治安は増々悪化する。だが奇妙なことにこの革命に指導者はいなかった。なぜならニコライの秘密警察が優秀で、指導者たちを逮捕、追放していたからだ。

スターリンはシベリア、レーニンはスイスに追放された

ピエールは改めて、「宮殿を出るべき」と進言するが、アレクサンドラは、「ここは要塞、兵士が守ってくれる」と動こうとしない。
だが群衆の中にいたペトログラード護衛兵が将校に発砲、将校は亡くなってしまう。その上、宮殿の水と電気を止められた。それでもアレクサンドラは、「明日お父様が帰って来る。怖がることはない。神に任せるのです」と子どもたちを励まし宮殿に留まるが、軍隊も皇帝から離れ革命に参加、帝室警護隊も宮殿から立ち去ってしまう。

ニコライの決断

一方、汽車で宮殿へと向かっていたニコライは、革命軍に鉄道線路を占領され、首都まで100キロの地点で動けなくなっていた。そこへ宮殿の警備がいなくなったとの報告が入る。
ニコライは譲歩してドゥーマに代議政治権を与えると言うが時はすでに遅く、ペトログラードが陥落。
将軍は、「帝位を退き息子アレクセイを後継者に。弟ミハイル氏を摂政にされるしか手はない。それが全将軍の一致した意見だ」と助言。それが唯一の選択肢だと判断したニコライは退位を表明するが、同時に、「息子には持病がある。血友病だ。あと何年生きられるかわからない」と言い、ニコライ2世と息子アレクセイの連名で帝位を放棄をする。

 

退位

それはロマノフ統治300年の廃絶で、欧州最後の完全専制政治が終わった
と同時にロシアは不安定になりついに革命が起こる

息子を心配しキエフからやって来た皇太后は、国外退去するべきと説得するが、ニコライは、「リヴァディアの山荘」へ行くと言う。

アレクセイは父の退位とロマノフ王朝統治300年の廃絶を家庭教師ピエールから伝えられた。
その後皇位に就いたのはニコライの弟ミハイルだったが、ミハイルはすぐさま辞退、ロシアは皇帝不在となる。

元皇帝一家の運命

家族との再会

ニコライは冬宮殿に戻るが、兵士は誰もニコライに敬礼せず、見下した目で見ると、所持品検査をする始末。だがアレクサンドラは戻ってきたニコライに走り寄り、「すまない」と謝る夫に、「皇帝でいるあなたより私には夫のあなたの方が大切」と迎え、アレクセイも、ロマノフ王朝を終わらせたことを詫びる父を抱きしめた。

ロマノフ一家は国外逃亡するべきだった。だが国内事情、革命運動の状況をまったく理解できていないニコライとアレクサンドラは、宮殿に留まる。
ロシア情勢

ロシアは二大勢力(ドゥーマとペトログラード・ソビエト)が激突。一旦協力し、臨時政府を設立することに。臨時政府の首班となったのはアレクサンドル・ケレンスキーだった。
ケレンスキーは数週間前まで皇帝打倒を叫んでいた人物だったが、皇帝一家の安全を守る役目を任されることに。ニコライと面会したケレンスキーは、「政府が一家の安全を保証する代わりに、ルール(電話使用禁止、所持品検査、食糧は配給制)を守ってもらう」と言う。

ニコライは当初、ケレンスキーを敵だと思っていたが、関係が深まるにつれ、ケレンスキーがむしろ同情的な人だと気づく。

臨時政府の崩壊

ロマノフ一家はケレンスキーに保護を頼っていたが、夏にはケレンスキーの地位が危なくなる。
ケレンスキーら臨時政府は皇帝政府同様、戦争継続を指示していたが、即時講和を主張するボリシェヴィキとの対立を深めただけでなく、戦争の即時中止を求める労働者大衆の要求を無視したことで各地でストライキが起こり始めたのだ。
ケレンスキーは、「もはやここは安全ではない」とニコライ一家に宮殿を出るよう進言、ニコライはそれに従い首都ペトログラードを離れシベリア、トボリシクへと秘密裏に移動する。

その3ヶ月後、レーニンとボルシェビキのクーデターによりケレンスキー政権は倒れた。
皇帝一家の運命は、暴力による君主制打倒と皇帝処刑を訴え続けているレーニンとボルシェビキの手に託されることに。

1918年エカテリンブルク

ニコライ2世とアレクサンドラ、娘ひとりはボルシェビキ領内深くの隠れ家に監禁される。
その数週間後、ヤコフ・ユロフスキーが指揮するボリシェヴィキ軍は残りの子どもたち(4人)をトラックに乗せる。家庭教師ピエール、子守たちは同行を申し出るが、ユロフスキーは銃を向けてそれを阻止。ピエールは子どもたち(アナスタシア、アレクセイ含む)と別れさせられた。

【ヤコフ・ユロフスキーとは】 元衛生兵、ボルシェビキ。
1918年7月17日、4月からエカテリンブルクのイパチョフ館に幽閉されていた元皇帝ニコライ2世とその家族全員(妻、4人の娘と息子、そして5人の使用人)が銃殺された。このボルシェビキ処刑隊5人を率いていたのがユロフスキー。東部前線で軍医として任務に就いていたユロフスキーは、「皇帝退位」を知り信条に基づき共産党員に。”チェーカー(秘密警察)”の任務につくが、その忠実な仕事ぶりを買われ、ボルシェビキ処刑隊のリーダーの抜擢された

感想

社会情勢を読めず、リーダーとしての資質がないものがトップで政治を動かすことの怖さを実感する。
世襲制はマジ怖い。だから300年続いたロマノフ王朝は終わって当然なのだけど。この夫妻の悲劇はたったひとりの男の子アレクセイが血友病だと言うこと。それを隠し、短命の息子を生かすためにラスプーチンと言う怪僧に頼ることになったわけだしね。
さて、次が最終話。イパチョフ館の話に繋がるはずです。

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