今回のエピソードは1966年10月21日午前9時15分、イギリス、ウェールズ、アベルヴァン村で起こった子ども116人を含む計144人が死亡した大雨による炭鉱山のボタ山崩落事故のエピソードです。
# 3 悲劇の波紋 Aberfan あらすじ
イギリス、ウェールズ、アベルヴァンで起きたボタ山が崩落、小学校が土砂に飲み込まれる大惨事に。ウィルソン首相はエリザベス女王に現地慰問を願いでるが頑なに動かないエリザベス。エリザベスは自分のウィークポイントと向き合うことを余儀なくされる。
相関図
まとめ
1966年10月21日(金)ボタ山崩落事故発生
南ウェールズ、炭鉱の村アベルヴァンでボタ山崩落事故が発生、パンドグラス小学校が土石流に飲み込まれ埋まってしまった。
炭鉱夫たちは生き埋めの子どもたちを救出しようとするが、作業は難航する。
ウィルソン首相の対応
報告を受けたウィルソン首相はすぐさま現地へと飛ぶが、秘書、議員から報告(ボタの範囲は23万立法メートル、6m以下のガイドラインを遥かに越えた5倍以上の積載高だった)を聞き、石炭庁総裁ローベンス卿を現地へ呼ぶよう命じると、「慎重な対処が必要だ。政治問題になりかねない」と懸念する。
事故現場は想像を絶する酷さだった。小学校は屋根以外すべて土砂で埋まり、救助活動は難航。すでに60人が遺体で発見されていた。
ウィルソンは記者会見で、「徹底的に調査し全力で対処する」と約束するが、記者からは石炭庁の責任を問う声があがり、村人からは、「あの山は危険だと何年も前から報告していた」「予測できたはずなのに誰も聞かず対処しなかった」との批判があがる。
エリザベスの対応
アベルヴァンのボタ山崩落事故のニュースはエリザベスにも報告された。すぐさま哀悼の意の声明を発表するが、「女王は現場へは行かない」と言う。
土曜日(事故から2日目)
ウィルソンの謁見
ウィルソンは、「すでに116人の遺体が発見された。ショベルカーは泥に埋まり使えず、軍も出動して行方不明者の捜索を続けている。このような状況から陛下に現地へ行っていただきたい」と要望するが、「君主が訪れることは現地の動きを止めてしまい兼ねない。女王は邪魔なだけ」とエリザベス。だがウィルソンは、「そうでしょうか?子どもたちを失い村は壊滅状態です。慰めが必要です」と食い下がるが、「女王は見世物ではない」と要望を退ける。
日曜日(事故から2日目)
バッキンガム宮殿にやって来たマーガレットは、「トニーから昨夜電話があってアベルヴァンの惨状を聞いた・・・」と話し始め・・
「カレのあんな声を聞いたことがない。二度と聞きたくない」とかなりの衝撃を受けたらしいマーガレット。
月曜日(事故から3日目)
紛糾する石炭庁の会見
石炭庁のモーガン、ウェールズ副大臣トーマスは会見を開き、「想定以上の豪雨による崩落事故の責任は取れない」と発言、村人らは、「ボタ山の下に湧き水からあることは何年も前から危険だと報告していた。その警告を無視したんだぞ、豪雨のせいにするな!」、「石炭庁が子どもたちを生き埋めにした」と批判、「すぐに資金援助が必要なのに政府はいつ動くのか」と声があがるが、「ボタ山は保守党政権下で造られた。その責めを負うのは労働党じゃない」と言う。
労働党議員とウィルソン首相
労働党員からは、「危険なボタ山を放置してきたのは保守党、労働党じゃない。このままでは保守党有利に傾き兼ねない。労働党の責任でないことで支持を失うなんて納得できない」との声があがる。
マーシャは、「保守党に責任を取らせるんです。女王を矢表に立たせて国民の批判を逸らせるしかない」と言い、現地へ赴かないエリザベスを批判するが、「行かないことには理由があるはずだ。現場の悲惨さを目の当たりにすることがツライのかも知れん」とウィルソン。するとマーシャは、「子どもを失うこと、親兄弟を亡くす事をツライと言うの、炭鉱村に住みながら石炭庁に見捨てられることをツライと言うのよ」と怒りをあらわにすると、「本物のリーダー、社会主義者になりたいなら動くべきよ」と言い切る。
木曜日(事故から4日目)
現地に赴いたフィリップは土石で埋まった小学校を視察、言葉を失う。
その後フィリップは合同葬儀に参列した。
その夜フィリップは、「凄まじ光景だった。彼らの嘆きと怒りは石炭庁や国だけじゃない、神への怒りだった。81人の子どもたちが埋葬された。だが遺族は物に当たることも喧嘩することもなく讃美歌を歌ったんだ。あれほど胸を打つ歌ははじめてだった」と言うが、それを聞いたエリザベスは、「泣いた?」と問う。エリザベスの言葉の意図がわからないフィリップは、「どういう質問だ?なぜ聞く?あの讃美歌を聞いたものは皆泣いただろうし、心が砕け散る思いをしたはずだ」と言う。
金曜日(事故から5日目)
ある新聞編集者から電話が入る。労働党は”アベルヴァンを訪れていないのは女王のみ。国家元首の無関心さを示している。ウェールズの人々のみならず労働者階級を軽視する王室の姿勢の表れ”との文面を各新聞社に通達したと言う。「首相がその通達を認めたのか」と問うエリザベスに、「そう考えざるを得ません」と秘書官たち。
エリザベスはアベルヴァン訪問を決める。
土曜日(事故から6日目)
アベルヴァンへと赴いたエリザベスは、凄惨極まる事故現場に言葉を失う。
エリザベスは教会で祈りを捧げ、墓地で弔い、遺族を訪問し哀悼の意を示した。
帰路の飛行機でエリザベスは秘書マーティンに、宮殿にウィルソン首相を呼ぶよう言うと、村人が埋葬のとき歌った讃美歌が聞きたいと頼む。
エリザベス、ウィルソンの弱み
ウィルソンを呼んだエリザベスは、「チャーチルをはじめこれまでの首相は私に怒りをぶつける度胸があったが、あなたは裏から手を回し、新聞社に”女王が国民を失望させている”と書かせた」と怒りを向けるが、「していません」とウィルソン。
改めてエリザベスは、「アベルヴァンの被害者、遺族には一刻も早く思いやりと共感を示すべきだった」と対応の遅れを後悔するが、「女王はされました」とウィルソン。しかしエリザベスは、「何もしてない。私は犠牲者を前にして泣けなかった」と言う。
エリザベスは子どもの頃から悲しみを深く感じて泣けない悩みを抱えていた。
「大好きな祖母メアリー大王太后が亡くなっても泣けず、第一子を生んだ喜びの時も泣けなかった。私はどこかおかしい、欠陥がある」と言う告白に、「私は肉体労働をしたことが一度もない元学者、労働者ではない。ビールよりブランデー、缶詰より天然サーモン、ミートパイより高級ビーフを好み、パイプより葉巻が好きだ。だが人前に出る時はパイプをふかす。親しみやすく人に好かれるためです。ありのままでは国民の顔にはなれない。リーダーを演じるのも仕事、極力国を安定をさせるのが我々の仕事で陛下はよくやっておられる。感情の欠如は恩恵。取り乱す国家元首など誰も見たくない。実際我々に人間らしさは不要なのかも知れない」と共感を寄せた。
ひとりになったエリザベスは村人たちが合同葬儀で歌った讃美歌を聞く。
自然とエリザベスの頬には涙が伝った。
エリザベスはこの時の対応の遅れを後悔。1966年以降、王室の誰よりアベルヴァンを訪問した
感想
エリザベス女王のウィークポイントが、<悲しみを前に泣けないこと>だったんですね。
この悩みを持ってる人って割と多い気がします。
今は何を見ても泣ける私でも、小中高と卒業式では泣かなかったし、祖父母のお葬式で泣いた記憶もそんなにないです。そんな人はたくさんいると思う。パフォーマンスとして涙を流すひとが思いやりのある人に見えるけど、実際はそうじゃない。
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