ザ・クラウン # 4 神の御業(相関図あり)

海外ドラマ
海外ドラマザ・クラウン

送信中です

×

今回は、1952年12月、イギリス、ロンドンを襲った5日間に渡る濃霧による交通マヒ、大気汚染による呼吸疾患患者続出のエピソードです。

# 4 神の御業 Act of Got あらすじ

1952年12月、イギリス首都ロンドンは、気象条件が重なり、濃霧による首都マヒと大気汚染による呼吸器疾患患者が続出、大混乱となるが、チャーチルは、「たかだか濃霧だ」と対策を講じない。野党労働党はこのチャンスに政権奪還に動き出し、与党保守党の中からも老害チャーチル下ろしが始まり、エリザベスは巻き込まれる。

相関図

まとめ

1952年12月4日

フィリップ殿下の航空術

早速ピーターに航空術を習うフィリップ。
ピーターは”バトル・オブ・ブリテン”で活躍した兵士で、素晴らしいテクニックを披露する。

【バトル・オブ・ブリテン】とは、第二次世界大戦におけるドイツ空軍とイギリス空軍の戦い
気象庁

最新データを見た気象庁職員が慌てはじめた。長官は、「これは大変だ警告を出すべきだろうが、責任を負えん。まずは首相官邸に報告してくれ」と指示する。

チャーチル失脚を狙う者

気象庁から届いた報告書を読んだサーマルは、チャーチルや保守党議員に報告せず、報告書を持ち出すと、労働党議員コリンズに見せ、「天気に関する警告はとても珍しい。そこに書かれている”ドノラ”が気になる」と言う。

【ドノラ事件とは】1948年アメリカ、ペンシルベニア州ドノラ渓谷で発生した大気汚染による健康被害事件。亜鉛工場のススが原因で、付近住民の約半数が呼吸器系疾患を患い、20人の死者が出た。

サーマルは労働党代表クレメント・アトリーと面会、気象庁の報告書を見せ、「首相は一刻を争うことではないと警告を無視した。首相は安定的経済のためには石炭を燃やし続けるべきだと主張してる」と内閣議事録まで見せる。

だがアトリーは、「首相官邸に勤める役人が何故この情報を持って来たかわからん。信用できん」と言う。サーマルは、「眼前の国家の危険を黙って見過ごせない。現政府は腰抜けの役立たずばかり、老いぼれた暴君(チャーチル)を追い払うことすらできない。労働党は急進的かつ進歩的な政府だった。与党に返り咲いて欲しいからだ」と説明するが、「霧対策の失敗を利用して保守党を倒させる策を練ってきたのだろうが、まだ霧は出てないどころか星空だ」とアトリー。

1925年12月6日 濃霧1日目

気象庁の予報どおりロンドンの街は濃霧に覆われた。

ラジオ放送では、ロンドン上空を高気圧が覆い留まっていることが原因で、煙突からの煙が大気に閉じ込められ、霧をより一層悪化させている。しばらくこの状況が続くと思われるので注意が必要。ロンドン空港は閉鎖、主要道路は渋滞が続き、クルマを乗り捨てる人が続出していると報道した。
労働党の動き

コリンズはアトリーに、「過去最悪の濃霧で事態はさらに悪化するらしい。チャンスだ」と不信任投票を求めるべきだと言うが、二の足を踏むアトリー。

チャーチルと若手秘書スコット

首相官邸でも濃霧で交通はマヒ、職員の半分は出勤できない状態になっていた。
そんな中、出勤してきたスコットにチャーチルは、「キミがいて仕事が助かってる」と労をねぎらうが、スコットは、「もっと私にしかできないことでお役に立ちたい。閣下の”わが半生”を読ませていただきました」と言うと、本の名文をそらんじ、「ここには24才のあなたがいる。ほとばしるエネルギーと希望、燃えるような情熱素晴らしいです」と熱い思いを伝える。チャーチルは忘れていた若き日の自分の情熱を思い出す。

1925年12月7日 濃霧2日目

昨日よりも更に濃い霧がロンドンの街を覆っていた。
首都の交通はマヒ、事故や体調不良で救急隊の出動要請も増えている中、何の対策も講じない政府に批判が高まり始める。
スコットのルームメイトのメアリーは咳き込み、苦しそうだが、病院に行く必要はないと言う。

女王と首相の定例謁見

いつものように国際問題について報告しはじめるチャーチル。エリザベスは、濃霧や大気汚染について憂慮していないチャーチルに、「以前亡き父は火力発電所建設について強い懸念を抱いてた」と言うが、「私も亡き陛下のご意見には共感している。火力発電所の石炭が関係していないとは思っていない。だが石炭を燃やさねば国民は凍え死ぬ。濃霧への怒りの矛先を私に向け、責任を取らせたいだけです。単なる”霧”だ、じきに晴れる」とチャーチル。エリザベスも、「霧が晴れることを望んでる」と言い、霧が晴れなければ航空術を習っている夫の機嫌が悪くなると言うが、それを聞いたチャーチルは血相を変え、「政府に無断でですか?陛下ご夫妻の行動は国益に直結する。承服できかねる」と言い出す。エリザベスは、「お願い、これ以上夫の自由を奪わないで。あの人は故国も名前も奪われた」と言うが、チャーチルは陛下ご夫妻の行動を決めるのは内閣だと言う。

1925年12月8日 濃霧3日目

大気汚染をもたらす濃霧は更に悪化していた。
窓にも黒いホコリが・・石炭を燃やす火力発電所が排出する毒性のある二酸化硫黄のせいだった。

保守党の閣議

保守党員ソールズベリーは、「公的調査し、何らかの手を打つべきだ。濃霧により列車が鉄道職員の集団を轢き複数名が死傷者、呼吸器疾患の患者で病院はどこも満杯状態だ」と言うが、チャーチルは、「晴れ間が続けば世間は干ばつだと騒ぎ、降雨が過ぎれば洪水だと騒ぐ、これは神の御業だ。天気のせいだ。それより今はもっと急を要する大問題がある。エディンバラ公だ」と言い出す。

野党労働党

業を煮やした労働党議員コリンズは、「不信任投票で倒せる、やるべきだ」と主張、アトレーは、不信任投票の動議発動を決断する

野戦病院状態

スコットは咳き込み、呼吸困難で苦しむメアリーを病院へ連れて行くが、病院は野戦病院のように大混乱状態だった。「どこもかしこも患者でいっぱいだ。医師は交通マヒで病院にたどり着けず、呼吸器疾患で倒れた医師もいる。これなら戦時中の方がマシだった」と言う医師は、資金と訓練された医療スタッフが足りないと言う。

スコットはチャーチルなら対策を講じてくれるだろうと首相官邸に急ぐが、その途中でバスにはねられてしまう

謁見にやって来たマウントバッテン卿

マウントバッテン卿が宮殿にやってきた。
叔父との再会をよろこぶフィリップだが、「女王に会いに来た」と言われ退席する。

マウントバッテン卿は、「保守党内でさえチャーチル首相の問題処理能力に疑問の声があがっている。病院は患者で溢れかえり、死者が増え続け、野党が不信任投票の動議を提出した今、チャーチルに辞任要請する時だ」と言うが、「応じられない。憲法違反です」とエリザベス。

しかしマウントバッテン卿の、「今、話し合われるべきは国家の有事であるべきなのに、首相が議題に選んだのはキミの夫の新しい趣味、”飛ぶのを禁じること”だったんだ」と言う言葉に、エリザベスは衝撃を受ける。

保守党員ソールズベリーは、濃霧で大混乱の事態に、一番の懸念が航空術を学んでいるフィリップ殿下だと発言したチャーチルを辞任に追い込むしかないと考え、マウントバッテン卿を動かしたのだった。
秘書トミー・ラッセルズの助言

迷った末エリザベスは、「内閣中枢から私に現首相の辞任要請がありました。国益に関わる事項について君主として私はどこまで責任を果たすべきなの」とトミーに意見を求める。

トミーは、「実はイーデン閣下が亡き国王に、”現首相の背中を押して欲しい。国王の立場として無理なら、友として辞任を要請して欲しい”と頼まれたことがありました。亡き国王はしきたりと伝統を重んじる方、憲法に違反したりお立場を越えるようなことは一切されませんでした。ですがその時と今では状況が異なります。君主も違う」と言う。トミーの言葉でエリザベスはチャーチルと会談を決める

秘書スコットの死

スコットが交通事故に遭ったと聞き、すべてを置いても病院へ行くと駆けつけたチャーチルは、まるで野戦病院のような混乱状態に驚く。

スコットはすでに亡くなっていた。
「まだ若いのに・・・」と死を悼むチャーチルに、「女王陛下が謁見を望んでおられる」と秘書コルヴィル。チャーチルは、スコットとの会話、言葉を思い出し、「今すぐ記者を呼べ、女王には明日の朝、新聞が届いたあとに行くと伝えろ」と指示する。

会見

集まった記者を前にチャーチルは、「この霧を晴らせられるのは神だけだが首相としてすぐに対策を講じる。病院スタッフ増員の資金援助、医療機器購入資金の援助、専門家による公的調査の実施、大気汚染の原因を突き止める。このような大惨事の闇が二度と我々の頭上を覆わぬよう対策する」と宣言した。

日差し

翌朝、新聞の1面には、”危機を救う真のリーダー”の見出しで、【政界の長老の中でただひとり病院を訪れて危機に対処し、その場にいた記者や未曾有の濃霧の被害者から拍手喝采を受けた】との記事が。
労働党長アートリーやソールズベリーはチャーチルにしてやられた。

チャーチルが来るのを待っていたエリザベスは、窓から太陽の日差しが入るのに気づく。
濃霧が晴れたのだ。エリザベスはチャーチルを前に、何を話すべきか思いを巡らせたー・・・

チャーチルは妻クレミーに、「エリザベスは濃霧対策の遅れを叱責するつもりで私を呼んだが、霧が晴れたため、急遽話題を変えた。彼女は利口だ。天才かも知れん、この私を抱き込み、私の決断まで翻させた」と話す。エリザベスはフィリップが航空術を学ぶことをチャーチルに許可させたのだった。

太皇太后の言葉

ロンドンに日常が戻った。
エリザベスは太皇太后を訪ね、「もしもまだ濃霧がまだ続き、内閣が有効な手を打たず、死者が増え続け、チャーチルは権力に固執し、あのまま国民が苦しみ続けていたら君主として何もしないのは正しいことなのか」と問う。メアリー太皇太后は、「それこそが正しい決断。何もしないことほど難しいことはない。全力で臨まないとできないこと。人は君主のあなたに笑顔、同意を望むけれど、それを示せば意見を表明したことになる。君主は意見を表明する権利を与えられていない。何も言わず、同意せず、笑わず、考えず、それがベターだ」と言う。

エリザベスは太皇太后の言葉に納得しつつも、(26才の私の気持ちはどうなるのか)答えが出ないのだった。

1952年12月5日~9日、ロンドンを襲った濃霧は、首都に交通マヒで大混乱させ、大気汚染が原因の呼吸器疾患患者の死亡も含め、1万2千人ほど亡くなった。その事象は、”ロンドンスモッグ”と呼ばれ、その後1956年、大気浄化法が制定された

感想

19世紀以降、産業革命で発展したイギリスは石炭燃料を利用していたため排煙による呼吸器疾患が深刻だったようです。いわゆる公害ですよね。先進国がかならず陥る問題なんでしょう。日本で光化学スモッグが報告されたのは、20年後の1970年頃のようです。
【君主であること=帝王学】を学べないまま父ジョージ6世国王を亡くしたエリザベスの道しるべはメアリー太皇太后だったようですね。太皇太后の言葉はいつも重く、心に残ります。2話目の国王崩御に際し、孫エリザベスに宛てた手紙も素晴らしかったです。
このときの太皇太后は85才と思われます。頭のキレる素晴らしい女性だったようですね。

送信中です

×

コメント

タイトルとURLをコピーしました